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 ・テキスト:魔王「これからも宜しく頼むぞ勇者よ!」勇者「あぁ、こちらこそな」 [感動] (6)
 ・テキスト:昭和16年初め、東京・帝国ホテル [感動] (9)
 ・テキスト:投網漁を楽しんでいた石井八郎左衛門 [感動] (14)
 ・テキスト:秀吉と牛蒡 [感動] (8)
 ・テキスト:ゼロ戦のプロペラは実はアメリカの企業が特許を持っていた [感動] (16)
 ・テキスト:羽生善治の集中力 [感動] (18)
 ・テキスト:おならに纏わるいい話 [感動] (8)
 ・テキスト:英国で「ヤクルト」の効果に驚きの声 [感動] (20)
 ・体験談:ドイツ語のテスト(何でも持ち込み可)の試験 [感動] (25)
 ・体験談:もうお互い50代なのにラブラブなうちの両親 [感動] (18)
 ・テキスト:伊藤清蔵伝説 [感動] (16)
 ・テキスト:加藤嘉明にはある宝物があった。 [感動] (16)
 ・テキスト:比田武右衛門と名乗る者が、武田信玄のもとへ来て仕官を希望した [感動] (12)
 ・テキスト:出世の白餅 [感動] (7)
 ・テキスト:お城の乞食 [感動] (15)
 ・テキスト:ジャズの巨匠アート・ブレイキーのエピソード [感動] (23)
 ・テキスト: イギリス 手放しで礼賛一色 「フーリガン出る幕ない」 [感動] (30)
 ・テキスト:天国の控室 [感動] (23)
 ・テキスト:長友佑都の歴史 [感動] (15)
 ・体験談:コトメ子を引き取って育てたんだ [感動] (48)
 ・テキスト:敵も認めた漢の褒美 [感動] (24)
 ・テキスト:鶴姫一文字の秘密 [感動] (16)
 ・テキスト:阿部寛のマツダ・ファミリア [感動] (17)
 ・テキスト:発言小町で生まれたガンダムに纏わる感動する話 [感動] (31)
 ・テキスト:鳥山明のドラゴンボール誕生秘話 [感動] (27)
 ・テキスト:クロノグラフムーブメントの秘密 [感動] (15)
 ・テキスト:謎の文章、不思議な文章、感動する文章 [感動] (43)
 ・テキスト:コンドームの語源とは [感動] (26)
 ・テキスト:おまえらの性に対する態度 [感動] (18)
 ・テキスト:チャールズ・チャップリンと日本人 [感動] (12)
 ・テキスト:神戸牛の凄さ [感動] (15)
 ・テキスト:罵詈雑言しか飛び出さない喜八 [感動] (21)
 ・テキスト:三浦知良(キングカズ)の深イイ言葉 [感動] (16)
 ・テキスト:阿部寛の愛車 [感動] (21)
 ・テキスト:千原Jrとさんまの関係 [感動] (17)
 ・テキスト:妻はもう私のことがわからない [感動] (26)
 ・テキスト:ウッチャンナンチャンは素晴らしい芸能人 [感動] (24)
 ・テキスト:アメリカのトップガンと日本の空自 [感動] (38)
 ・テキスト:モンスターハンター2と娘 [感動] (15)
 ・テキスト:至上最強の天才 ジョン・フォン・ノイマン [感動] (39)
 ・テキスト:これが日本の楽園・福井県の実態だ! [感動] (30)
 ・テキスト:文字で作った円 [感動] (17)
 ・テキスト:本多忠勝の二人の息子 [感動] (10)
 ・テキスト:升田幸三とCHQのやり取り [感動] (21)
 ・テキスト:お断りという言葉の起源 [感動] (17)
 ・テキスト:漫画家によるオタクの見方 [感動] (63)
 ・テキスト:大崎玄蕃という銭勘定に無頓着な武将 [感動] (16)
 ・テキスト:堀秀政のちょっと良い話3 [感動] (15)
 ・テキスト:堀秀政のちょっと良い話2 [感動] (8)
 ・テキスト:堀秀政のちょっと良い話1 [感動] (5)

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〜魔王城にて〜

勇者「おい!」

魔王「……僕は今忙しいんだ。後にしてくれ」

勇者「……」

勇者(……こいつが新しい魔王なのか?)

勇者(まだ、子供じゃないか……)

魔王「……何だ、僕に何か用か?」ジロ

勇者「あ、ああ……」


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昭和16年初め、東京・帝国ホテル。
当時の料理長、石渡文治郎が、部下の若手コック13名に指示を下した。

「調理場の銅鍋を集め、隠せ」。

日露戦争を経験していた石渡文治郎、このまま戦争が激化すれば、鉄や銅製品はいずれ没収されることになり、料理人の魂ともいうべき銅鍋も、必ず取られることを予見していたのである。

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朧月の、静かな夜だった。

投網漁を楽しんでいた石井八郎左衛門は、散歩中らしき侍に声をかけられた。

「どうだい、獲れるかね?」

「ああ!今夜は大漁だ。」

そう答え、魚籠を水面から引き上げて侍に見せてやった。

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秀吉と牛蒡

羽柴秀吉が関白に就任し、豊臣秀吉と名乗り始めた頃の話である。
人臣の位を窮めた秀吉に、各国の大名や豪商、有力者達が祝いの品を贈っていた。
その頃、秀吉の故郷である、尾張中村でも秀吉に祝いの品を贈ろうと、農民達が話し合っていた。
しかし当時の尾張中村は寒村であり、特に名産も無く、農民達は何を贈り物とするか決めあぐねていた。ある者が言った。

「そういえば、秀吉様が墨俣に城を建てた時や、長浜に城をいただいた時、
 この中村の牛蒡をお祝いとして差し上げたら、たいそう喜ばれた。今度も牛蒡を贈ったら良いのでは?」

皆、(関白さまに牛蒡など…)と戸惑ったが、他に換わる金品は無い。
せめて丹精した牛蒡をと、農民達は選りすぐった牛蒡を持ち寄り、村の代表者に託した。

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ゼロ戦のプロペラは実はアメリカの企業が特許を持っていた
そこで日本の航空機製造企業はその企業の特許料を支払って製造を行っていた。

その後の第二次大戦が始まって、その特許料の支払いが行えなくなり、支払いが中断した、
その後終戦、アメリカの企業はもう特許料の支払いは日本には無理だろうと考えて諦めていた、

しかし戦後1年位たってから日本の企業から手紙が来て、
そこに書いてあったのは戦争中に生産した
そのプロペラを使って製造した航空機の数で
その数は優に1万機を超えていた、そして手紙にはこう書いてあった

これだけ生産したので特許料を請求してくださいと、
アメリカの企業は請求書を送った、そこに書いてあった
請求額はたったの1ドルだった

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羽生善治の集中力

深浦 
僕、アイスクリーム頼みたいんですよ。
ただ冷たいもの急に入れるとおなか壊しちゃうかなーって、ちょっと競った局面でリスクは負いたくないって。

本田 
でもアイス来たらすぐに食べなきゃだめですよね。

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女王エカテリーナがある宴会でおならをした。
若い陸軍士官がとっさに

「失礼しました」

と罪をかぶった。
その後彼は異例の昇進をした。

ある国際会議で、日本代表がおならをした。
とっさに椅子の肘掛をこすって類似の音をだし、ごまかそうとした。
なんどかこすっていると、となりのインド代表がつっこんでくれた。

「最初の音がいちばん良く似ていましたな」


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謎の病気が2日で治った?
英国で「ヤクルト」の効果に驚きの声。

乳酸菌飲料の代名詞として、日本だけでなく世界で愛飲されている「ヤクルト」。
創業者である京都帝国大(現京都大)の代田稔が培養に成功した「L. カゼイ・シロタ株」を大量に含んでおり、近年は体内環境を整えて病気を未然に防ぐ「プロバイオティクス」の観点からも注目を浴びている。

こうした中で、原因不明の病気に苦しむ息子に母親が「ヤクルト」を与えたところ、たった2日で完治したと英紙デイリー・メールが伝えている。

アンナ・アンダーソンさんの息子ライリーくんは、生後12時間でおなかが風船のようにふくれる原因不明の病気であることが判明。
新生児集中治療室で治療を受けた後、小児専門病院に転院したが、その原因を突き止めることはできなかった。

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うちの大学の学期末のドイツ語のテスト(何でも持ち込み可)の試験でドイツ人留学生を持ち込んだやつがいる。
教授も
「何でもOKって言っちゃったし」て事で持ち込みを認めた。
翌年から「何でも持ち込み可(人は除く)」になった。


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もうお互い50代なのにラブラブなうちの両親。
反対に私は結婚に失敗して家に舞い戻ってしまっていた。
ある日何気なく母に何でそんな仲良いの?
って聞いたらいろいろ父の好きな所を話し出したんだけど(この歳で両親の惚気話を聞くとは思わなかった・・・w)

私が生まれて間もないころ母がこのままでは失明してしまうかも知れないという大病を患い、ショックが大きいためお医者さんがまず父にだけ説明することになった。
奥様はこのままでは失明するかもしれません・・・と説明すると開口一番

「僕ちょうど目二つあるんで一つ移植してください!」

とボロッボロ泣きながらお願いしたらしい。
看護婦さん経由でそれを聞いた母はもう一生この人を信じて大丈夫だと思ったとか。

あ〜こんな旦那様にゃ私は一生出会えないだろうなぁorz


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織田信長の黒母衣衆に、伊藤清蔵という者がいた。

ある合戦でのこと。清蔵が陣屋で寝ていると、信長が突然の出撃命令を出した。
ぐっすり寝ていた清蔵は出陣の貝の音を聞くと大いに慌て、寝床から飛び起きるとそのまま戦場に走った!到着した!「やれやれ、間に合った」その時、気がついた!

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加藤嘉明にはある宝物があった。
それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」。
大事な客が来た時は、いつもこの手塩皿でもてなしていた。

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比田武右衛門と名乗る者が、武田信玄のもとへ来て仕官を希望した。
係りの者が

「お前はこれまでにどんな武功があったのか」

と聞くと、比田は自分の欠点ばかりを申し立てて功績の事をは何も言わなかった。

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「亭主を呼べぇ!!」

三河吉田の旅籠亭主・彦兵衛が、大声で呼ぶ客の部屋へ向かうと、薄汚い若侍の前にたくさんの餅が広がっていた。

給仕に当った女中に聞くと、侍は好物だからと餅を山ほど注文したがその餅の出し方が気に入らぬと言って、皿をひっくり返したのだと言う。

若侍「客に出すのに、雑な山盛りにして出すとは何だ?
    普通ならば、漆塗りの盆に丁寧に積み上げて、持って来るものだろう?!最初から出し直せ!!」

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肥前にある歌舞多城には、城の近くに乞食が住んでいた。
家臣から、「みっともないので追い出してしまえ」との声もあったが、城主、大村筑前は、それもかわいそうだと、なんとなく許していた。

この歌舞多城が、後藤貴明の軍勢に攻められた。
大村側は硬く城に篭り、戦線は膠着した。
さて、この歌舞多城の城兵に、込屋玄蕃と言う男がいた。
彼は大の博打好きで、籠城の最中にもかかわらず、ちょくちょく城を抜け出し、後藤領にある博打場へ双六を打ちに行っていたのだ。

ある夜、いつものように玄蕃が博打から帰ってきた。
酷く負けが混んだらしく、気が立っており、城へ続く道の側に寝ていた乞食を

「失せろ!」

と蹴飛ばした。

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ジャズの巨匠アート・ブレイキーのエピソード

素晴らしいメンバーを従えてアート・ブレイキーが初めて羽田空港に降り立ったのは、1961年元日の夜10時のことだった。
機内から外へ出た瞬間にブレイキーが目にしたのは、花束を持ち、こちらに向かって熱狂的に手を振っている無数の若者達。
彼はいったい同じ機にどんな有名人が乗っていたのだろうと思ったのだが、これが実は自分達を歓迎するファンの渦だと知ったとき、彼の目からは大粒の涙があふれた。

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イギリス 手放しで礼賛一色 「フーリガン出る幕ない」

辛口で定評のある英国メディアが、W杯での日本人の対応を手放しで褒めちぎっている。

「日本人の品行の良さには驚いた。こっちも影響され、野外パーティーが終わると自分から掃除していた。
こんなことは初めて。今まで、なんて自分勝手な国に住んでいたんだろう」。

9日付の英高級紙サンデー・テレグラフは、W杯観戦で来日した英国の若者のコメントを紹介、「日本体験が英国人に集団治療のような効果を発揮している」と報じた。

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【天国の控室】

ここは通称「天国の控室」、正式名称は「国立終末介護医療センター」である。
比較的裕福で身寄りの少ない重病患者が終の棲家として選択する医療機関だ。
ただ、すでに危篤状態になっている患者はここに入院することは無い。
なぜなら、寿命を全うするまでの期間たとえそれが数日であろうと、本人の意思で至福の時間を過ごす事を目的としているからだ。
人によっては数年間の長期入院になる事もある。幸せな時間を1日でも多く過ごしたいという欲求がその命を永らえるのかもしれない。
N氏もそんな患者の一人であった。

「Yさん、ちょっとこちらへ来てくれないか」

「はいN様」

そう応えたのは、N氏が入院してからずっと付きっ切りで介護してきたY看護婦だった。

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サッカー版今太閤 長友スゴロク

中学時代 ユースチームの入団試験で、平凡な選手と判断され、不合格 イジケてゲームセンター三昧

高校時代 無名のままに終わり、明大のスポ薦に落ちる 

2005 高校3年間の学業成績による指定校推薦で明大入学
2005 明大サッカー部でレギュラーになれず、その後病気でサッカーできずイジケてパチンコ三昧
2005 サッカーの代わりに応援団をやる 卒業後はサラリーマンになることを決める

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コトメ子(義妹の娘と息子)を引き取って育てたんだけど、「実子と差別してる」「継子イビリの酷い女」と散々噂ばらまいたトメに、娘が親戚と、ご近所さんたちが集まった法事で、皆の前で

「私お母さん大好き、コトメママは知らない。
お母さんが大好きだから私いい子になる。
私産んだママに育てられたら酷い事になってたと思う、
お母さんの悪口言うお婆ちゃんは嫌い」

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前田利常の家臣平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。

大坂の陣の際、真田丸を攻めていた五右衛門は、主人である弥次右衛門の楯になり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。
だが五右衛門は

「なんのこれしき、かすり傷でござるわ!」

と笑い捨てた。

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上杉謙信公が、手元にあった一文字在銘の二尺三寸六分の刀一降りを磨上(すりあげ)つまり中子を切りつめて短くしようと研ぎ師をお召しになった
研ぎ師は承知しましたと承って、刀を持って座を辞した

さて、この研ぎ師、帰って刀を刀箪笥にしまってその晩は床に入った
そうすると、その晩の夢枕に見目麗しい一人の姫君が立って

「どうか、私を切らないでください、お願いいたします。」

と研ぎ師に頼み込んで、すーっと消えた

はっと目が覚めた研ぎ師は、翌朝頼まれた磨上の仕事に掛かろうとしたが、昨晩の夢が気になって、どうしても仕事に掛かる気になれない
それで、その仕事を一日延ばして次の日にすることにした

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今や芸能界の七不思議の一つに数えられているのが人気俳優・阿部寛の愛車だ。

黄色のマツダ・ファミリアになんと(2008年1月の時点で)14年間も乗り続けている。
走行距離は10万キロを超え、査定価格もマイナスになる?そうだ。
何度も知人やスタッフからは

「スターは夢を売る商売。しかも阿部のイメージとは程遠い。いい加減、車を買い替えたら」

と忠告されている。
撮影所やテレビ局の駐車場でも阿部のファミリアは有名だとか。
年収は3億円を超えているといわれているのに、なぜ車は庶民派なのか?

ファミリアは阿部が俳優としてようやく売れ出した頃に初めて購入した車。
以来、乗り続けて売れっ子になった。
奥さんと結婚前にドライブしていたのもあのファミリアだから、
今後も手放すつもりはないそうです。

 


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ガンダム好きの夫(33歳)へのクリスマスプレゼントにガンプラをプレゼントしたいのですが、内緒で買って置きたいので、どのガンダムが欲しいのか聞けない上に私はガンダムのことが全然わかりません。

今、家に飾ってあるのは
「ゼータガンダム」「フリーダム」「百式」
というみたいです。
あと毎日録画しているDVDには「ガンダムシードデスティニー」
「ビクトリーガンダム」と書いてあります。

こんな夫にお勧めのガンプラがあれば教えて下さい。
赤ちゃんがいるので、手に入りやすいものがいいです。

宜しくお願いします。

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今や世界中の誰もが知る漫画界の巨匠鳥山明。

彼が生まれ育った家庭はとても貧しく、近所でも有名な貧乏一家だった。
もちろん誕生日プレゼントなんて文化は皆無。
そんな中、明が7歳の誕生日の朝、目覚めると実父が突然あるものを手渡しこういった

「いいか、これは願いの叶う石だ。」

よく見るとそれは野球ボールほどの丸い石。
誕生日にプレゼントを貰えたという喜びに加え、普段は厳しい父が見せた突然の優しさ、そして貧乏故に小さい頃から空想の世界に身を寄せる事の多かった明はそれはそれは喜んだという。

当時のこのエピソードが後になり名作ドラゴンボールを生んだそうです。

ちなみに鳥山先生はその石を今も大事に保管しているそうな( ;∀;)イイハナシダナー

 


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世界最高のクロノグラフムーブメントであるゼニスのエル・プリメロには深いストーリーがある

高級時計メーカーのゼニス社が経営に行き詰まり、アメリカの企業に買収された際、ゼニス社が以前製造していた商品は全て製造中止となった
旧態依然とする工場を一新するため、多くの設計図も失われたという
そして、ゼニスの職人たちは自分たちが世界に誇るエル・プリメロも製造中止になると知り、絶望した
しかし、ある職人がエル・プリメロの設計図を靴箱に入れて工場の屋根裏に隠した
その職人の行動によってエル・プリメロは工場の屋根裏で静かに復活の時を待つことになる
時がたち、ゼニス社がアメリカ系以外の企業に買収(吸収だったかな?)された際、
屋根裏に隠されていたエル・プリメロは復活を果たし、ファンを喜ばせた
既に失われたと思われていた世界最高のクロノグラフムーブメントは一人の職人の機転によって難を逃れ、今でも製造され続けている

 


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こんちには みさなん おんげき ですか?わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎすの ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげ は もじ を にしんき するとき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめるという けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえてあまりす。
どでうす?ちんゃと よゃちめう でしょ?
ちんゃと よためら はのんう よしろく

 


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コンドームの語源とは

コンドームとはカタカナで表記されるために外来語であると誤解されることがあるがこれは誤りである。
起源は江戸時代後期に遡る。
吉原での遊女の妊娠と中条流と言う怪しげな堕胎術によって治安が乱れたために、時の17代将軍、徳川瀬楠(後の御成新居大老)がおふれを出して町人に避妊具の開発させた。

 

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おまいらの性に対する態度

中学時代 辞書のエロスな言葉を探す
高校時代 モザイクでもおk
大学時代 モザイクいらねー
社会人  ちょっとモザイクあった方がいいかも ←いまここ


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アメリカ人女性の投票による全米スターランキングで早川雪洲と首位を競い合った「世界の喜劇王」チャールズ・チャップリンは、1916年、日本人の高野虎市を運転手として採用した。
高野は運転から経理、秘書、護衛、看護夫など様々な役割を器用にこなし、チャップリンの遺書の中で相続人の一人に選ばれるほど絶大な信頼を得た。
チャップリンは日本人の誠実な仕事ぶりに惚れ込み、次々と日本人を雇い、1926年頃には使用人は全員日本人となっていた。

彼は生涯で4回来日したが、1932年の来日時、

「日本人はみんな親切で正直だ。何をやるにつけ、信用ができる。
 そのため自然と日本人が好きになった。
 こんな人たちを作り出している日本という国は、一体どんな国だろう?
 一度行ってみたいものだと思い始めた」

と語っている。
彼は歌舞伎や相撲など日本の伝統文化を愛した。
また、チャップリンが使った有名なステッキは、滋賀県産のものだった。


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マグロは置いといて
神戸ビーフってどんくらいすごいの?



一度寄ったところには二度と寄らないっていうルールの豪華客船が神戸牛のためだけに最近また来た


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昔あるところに、口を開けば罵詈雑言しか飛び出さない、

他人を労わる思いやりと優しさに欠如した喜八という男がいた。

生まれたときから感謝をしたことなどなく、

自分に都合が悪ければ親であろうが罵倒し、貶め、

これまで何人の人間を傷付け、陥れたのかは喜八自身でさえ分からない。

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■城彰二がW杯全敗でフランスから帰国した際、空港で水をかけられ、生卵をぶつけられた。

これを友人から聞いたカズは、城に電話をかけた。

「水をかけられたということはお前(城)がみんなにエースと認められたということなんだぞ。

俺だってブラジルでファンにドラム缶を投げられたんだぜ。

挫けるなよ。お前はまだ先を目指すべき男だよ」

自らが失った代表の座。
そのライバルだったFWに対してこんな激励の言葉をかけられる男、カズ。

本当にサッカーが好きなんだな、と思った。

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今や芸能界の七不思議の一つに数えられているのが人気俳優・阿部寛の愛車だ。
黄色のマツダ・ファミリアになんと(2008年1月の時点で)14年間も乗り続けている。
走行距離は10万キロを超え、査定価格もマイナスになる?そうだ。
何度も知人やスタッフからは

「スターは夢を売る商売。しかも阿部のイメージとは程遠い。いい加減、車を買い替えたら」

と忠告されている。

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千原Jrがバイク事故を起こした後、復帰しようにも仕事がまったく無かった
そんな時、どこかでさんまに偶然会ったときに

「おお!仕事忙しくて見舞い行けなくてごめんな。退院祝いに何がほしい?」

と聞かれたそうな。
冗談混じりでジュニアは

「仕事がほしいですね〜」

と言った。 

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80歳くらいの年配の紳士が指の抜糸をしてもらいにやってきた。
彼は9時に約束があって急いでいたので私はすぐに診察することにした。
傷を診てみると、もうほとんど治癒状態で私は抜糸をすることにした。
傷の処置をしながら、なぜそんなにお急ぎなのですか、と訊いた。
老紳士は、老人ホームの妻といっしょに朝食を摂ることになっているんです、と答えた。
彼の妻の健康を尋ねると、認知症で老人ホームにすこし前から入居しているんです、と言った。
それでは遅れると奥さんが困りますね、と問うと、老紳士は、妻は数年来もう私のことが分からないのです、と答えた。

「もうあなたが分からないというのに、あなたは毎朝奥さんのところに行かれるんですか?」

紳士は私の手を軽くたたいて微笑んで言った。

「妻はもう私のことが分からないですが、私はまだ妻のことが分かるんです」

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ネプチューン「ウンナンさんほど綺麗な芸人は居ない。もっと汚れてもいいんじゃいかと思うくらい」

爆笑太田「ウンナンさんが人の悪口を言ってるのを聞いたことがない。
あの人達に会うと(人の悪口しか言わない)自分がイヤになる」

中川家兄「ウンナンさんは芸能界に入って初めてそして唯一の心から優しいと感じた先輩」

ふかわが爆笑問題に
自分たちとウンナン選ぶならどっちを取るかと言われて
爆笑問題の番組なのに即答で

「ウンナンさんです」

太田「俺たちのがつきあい長いし面倒も見てやってきたのに!」

「それでもウンナンさん(特に内村だろう)。
あの人達ならすべてを預けても構わないという安心感がある」 

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・演習後、アメリカの誇るトップガン出のエリートたちが口をそろえて
「空自とだけは戦りたくない」と明言。
 エリートのプライドを木っ端微塵に打ち砕かれたか、再教育志願者が続出した。

・実弾射撃演習のためにアメリカ派遣された陸自砲兵部隊。
 ばかばかしいほどの命中率にアメリカ側が恐慌を起こした。
 アメリカ側が、「超エリートを集めた特殊部隊を作っても意味がない」と本気で忠告してきた
 (もちろん陸自は通常編成のまま)。
 ついでに、その演習を見に来ていたWWII&ベトナム生き残りの退役将校が、
「彼らがいてくれればベトコンを一掃できたし、あんなに死人が出なくてすんだのに」と
 泣いたというオチが付く。

・ホークだかパトリオットだか忘れたけど、
 演習でアメリカ側の発射したトマホークの迎撃訓練で、数十発を全弾撃墜した。
 なお、数十発のうち、
 後半は超低空・対地誘導その他、隠蔽技術をフルに活用した上でこの成績。

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「パパ、何をやってるの?」

後ろで小学校に上がったばかりの娘が聞いてきた。

「モンスターハンター2」

ちょうどドスファンゴのクエ中でぶっきらぼうに答えた。
なにせアクションゲーは苦手のためドスファンゴすらなかなか倒せない。
エリアチェンジすると勢いよくドスファンゴが向かってきた
あまりの突然の出来事に後ろで見ていた娘がのけぞるのがわかった。
あえなくクエ失敗・・。

「パパ下手くそ、私にもやらせて」

「お前にできるわけがない、すぐ死ぬよ」

娘があまりにもしつこいのでやらせてみた。
案の定すぐ2死した。
でもなかなか3死までいかない、と言うより最初にしては私よりもかなりセンスがいい。
しかしあえなくクエ失敗となり残念がっていた。

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至上最強の天才 ジョン・フォン・ノイマン
あまりの頭の良さに火星人、悪魔の頭脳を持つ男と言われた

数学・物理学・工学・経済学・計算機科学・気象学・心理学・政治学
とあらゆる分野で天才的な才能を発揮

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 全国学力テスト 第1位
 全国体力テスト 第1位
 社長輩出率 第1位

 刑法犯認知件数に占める粗暴犯割合 (下から)第1位
 刑法犯検挙率 第1位
 窃盗犯検挙率 第1位
 10万人あたり火災件数 (下から)第2位
 食品営業施設処分件数 (下から)第1位

 完全失業率  (下から)第2位
 一人あたり預貯金残高 第1位
 一人あたり住宅床面積 第2位
 女性労働者平均月給  第2位
 千世帯当たり自動車所有台数 第1位
 千世帯当たりパソコン所有台数 第3位
 千世帯当たり携帯電話所有台数 第1位

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       ゙マじへ、             /リiУ
        \夊i、_             ,.イ!刋/
         `マ才i「≧ェ。。.。。っ夭テ少'゚
           `゚'' ミ芝玉竺壬云=‐'´
                    ̄ ̄


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二人の息子

本多忠勝は正室との間に忠政、忠朝の二人の息子を儲けた。

家康の関東移封にともない、忠勝は上総国大多喜10万石に封じられた。

さて、関ヶ原の戦い後、家康が忠勝に加増してやろうと話を持ちかけると、
「今の石高で十分です。私に加増は結構です」と固辞する。
それでも十分功績はあったのだからと、家康はちょっと考えて次のようにした。

忠勝には、伊勢国桑名10万石を与える。
それとは別に、次男忠朝に上総国大多喜5万石を与える。

どうも忠勝は次男忠朝の方が可愛くて、何とか独立した大名にさせようと工作したらしい。

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日本将棋連盟は終戦後GHQに呼び出されました。

当時升田幸三は将棋界の関西本部長代理という肩書きで、それほど力は持っていませんでしたが、将棋連盟の代表には升田が選ばれました。
その知識・頭の回転の速さ・度胸・そして将棋の強さ。
どれをとっても升田にかなう人間はいなかったからです。
GHQの呼び出し理由はこうです。

「日本の将棋はチェスと違って、取った駒を自軍の兵士として使用する。
 これは捕虜の虐待思想につながり、国際条約に違反する。
 将棋は日本の捕虜虐待に通じる思想だ」

と言いがかりをつけました。 
升田幸三は至って平然として、出されたビールを飲みました。

「なんだコレ。マズいビールだな!」

といきなり大きな声を出したので、GHQはビックリして升田を見ました。

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昔の中国、東晋に、載逵という文人がいて、琴の名手としても知られていた。

その名声を聞いて、武陵王が宮廷の音楽演奏家として召抱えようとすると載逵は

「王の機嫌をとるための琴ではない」

と使者の前で琴を叩き割った。

その故事から、お琴割り(お断り)という言葉が生まれた。


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手塚治虫『人間関係が希薄な人は漫画は描けない。漫画とは読者との会話だからだ』

宮崎駿『ロクに人生経験も無いオタクを雇うつもりはない。火を表現するには火に触れないと駄目だ』

庵野秀明『アニメ・漫画に依存するのは止めて外に出て欲しい。あれはただの絵だ』

富野由悠季『オタクは日常会話が出来ない。アニメ作るならアニメ見るな』

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清洲城主・福島正則の家来に、大崎玄蕃という銭勘定に無頓着な武将がいた。

ある時、賤しい格好をした女が武家奉公をするために清洲に来たが、誰も召し抱えなかった。
以後女は陰日向なく21年間働き、玄蕃も2万石の身上まで出世した。
ところが、福島家が改易されるや家来・奉公人はことごとく退散し、残ったのは玄蕃の家来3人と召し使いの女1人だけとなった。

「かつて2万石の身上だったワシも、いまやすかんぴんじゃわい。」

と玄蕃が自嘲すると、女は庭石を動かし穴の中から、金5000両・銀2500枚を取り出して玄蕃に献上した。

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堀秀政のちょっと良い話(政務編)

ある時、堀家では論争が起きた。
それは

「荷駄を運ぶ際、荷駄の数を決める勘定役と、荷駄を運ぶ担ぎ役とではどちらが偉いか?」
と言うものであった。
現代風に言えば経理担当と現場担当どちらが大変か?と言う感じである。
これを聞いた秀政は勘定役、担ぎ役の双方を集めこう言った。

「わしはかつて、蔵入り奉行(経理担当)をしていたので、勘定役の苦労はわかる。
 だが担ぎ役はしたことが無いゆえ、今からやってみる。荷駄を用意してくれ。」

と言って荷駄を用意させ、自ら荷駄を担いで小高い山を乗り越えた。

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堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ二)

秀政が秀吉の配下として九州平定戦に従軍していた時の話である。

秀政は城を攻めていた。
城方から勇敢にも討って出てきた、敵兵五十人ほどを生け捕りにした。
秀政の前に引き出された敵兵達は、見せしめの処刑を覚悟した。

秀政は敵兵達に言った

「九州に来てから城攻めばかり。
 攻めた城はどこも一日で落城し、わしは次々と行軍せねばならず、本当にきついのだ。
 そこでお前達に頼みがある。
 このまま城に帰って、せめて後三日は持ちこたえてくれないか?
 対陣していれば軍を動かさずに済むからな。」

と言って敵兵全員を解放した。
すぐさま城に逃げ帰った兵達は、とても敵う相手ではないと悟り、城方は即座に降伏した。

『名人久太郎』の面目躍如である。

もっとも、秀政は本当に休みたかったのかもしれないが…


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堀秀政のちょっと良い話(戦場編其ノ一)

人使いが巧く、『名人久太郎』と呼ばれた秀政。
戦場でも彼はその才能を発揮していた。

合戦での陣中の夜間、特に風雨の強い時などは『陣泥棒』と言う、武具や糧秣を盗む盗賊がいて、当時の武将達は常に警戒していた。
だが秀政の陣では『陣泥棒』にやられる事が無かった。

秀政は見張りの兵達に、こう申し付けていた。

「今宵は風雨が強く、泥棒には絶好の機会だ。
 もし『陣泥棒』が来なくても、わしがスキを見て泥棒に入るので、気をつけておけよ。」

大将にこう言われては、厳しく警戒せざるを得ない。
秀政はこうして『陣泥棒』を防いだのである。


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