今からもう十何年も前、私が高校生だったころ。
入学した高校は、普通科は毎年クラス替えがあるけど専門科は一クラスで、三年間クラスが変わらない所で、私は専門科に入学した。
中学は地味に過ごしてきてて、できれば高校はそれなりに青春したい、恋もしたいと思っていた。
でも突然明るくなれるわけもなく、可愛くもお洒落でもなく、クラスのギャルっぽい子と仲良くなれるわけでもなく、しばらくは中学と同じく地味に過ごしていた。



そのまま地味は地味なりにすごせば良かったのかもと思うけど、やっぱりお洒落したい目立ちたいみたいな欲求がでてしまい、そのとき仲良くしててくれた子達ともうまくいかなくなってしまった。
彼氏欲しいよねー!とか調子にのって言い、男と女はこれはこうらしいよなんて雑誌で見た事をさも経験したかのように言いながら、なんの経験もない痛い自分で。
話しかけると話してくれる、一緒に移動教室も行く、でも進んで私と話そうとしてくれる人はいなくなってしまった。
無視されるわけでもない、けど休日に私以外の友達が一緒に出かけていても私は何も知らないみたいな状態だった。

そんな状態になって初めて気づいた自分の悪さ、痛さ。
見栄はって調子のって。
好かれないのも仕方ない。
それからは一人でお弁当を食べるようになった。
恥ずかしくて情けなくてみっともなかった。
一緒に食べよって言えば一緒に食べてくれたと思う、でもそれも怖かった。

それが一年生の9月頃だったから、このまま卒業するまで続くのかなと悲しくて寂しくてつらかった。

でも続かなかった。
スクールカースト最上位の、可愛いくてお洒落で明るいキラキラグループのAちゃんが、一人でお弁当を食べてる私に突然話しかけてきたんだ。

「おかず一個ちょーだい(*´∀`*)」

って。

Aちゃんは本当に可愛いくてキラキラしてて
入学して初めてのクラスでの自己紹介のとき、男子も女子も、みんな「○○中学からきましたよろしくお願いします」ってテンプレな自己紹介の中、

「家が近いからみんな遊びにきてくださーい(・∀・)」

って笑顔で言ってたくらい明るくて、みんなの憧れの的みたいな存在。

いきなりおかず一個ちょーだいはびっくりしたけど、とてもとても嬉しかった。
しかも一つあげたら

「めっちゃ美味い!ありがとう!」

って言ってくれた。

それでAちゃんは自分のグループの席に戻ったけど、私ちゃんの唐揚げウマー!って言ってる声が聞こえた。

その後もほぼ毎日、一個ちょーだいってAちゃんは言いにきて、ちょーだい以外にもたくさん話をするようになった。
お洒落になりたい可愛いくなりたい恋もしたいって話も、でもうまくいかないって話も、うんうんわかるよーだよねーって普通に聞いてくれた。
話し上手の聞き上手のAちゃんは、私ちゃんは肌が白くて綺麗とか褒めてくれたり、メイクの仕方を教えてくれるようになった。
ピアスあけてみたいって言ったら開け方とかも教えてくれて、放課後に保健室から氷をもらってきてピアッサーであけてくれたりもした。

12月になる頃には、気づいたらクラスにはっきりしたグループってものがなくなっていた。
厳密にいえば休日もしょっちゅう遊ぶか遊ばないかで分かれてはいるのだけど、お昼はクラスの女子みんなで円を描いてお弁当を食べるようになっていたり
派手も地味もなくみんなが笑いたいときに笑えるようになっていた。
ぼけだいときにボケる、誰でもつっこむみたいな。

私自身も、あのときはごめんね調子にのってたって、もともとのグループの子に素直に謝れたし
その子達からもこちらこそって謝ってもらったりして、いやいや私が悪かったしいやいや私こそってなった。
本当にAちゃんのおかげだと思ってる。
クラスの誰にも差別区別せずいつも笑っていたAちゃん。

そんなAちゃんは、二年生に上がる前に突然退学した。
同じクラスのB君も突然退学した。
二人が付き合っていたのは知っていたけど、何かあったのかは知らず、Aちゃんの携帯は通じなくなった。
もともとのAちゃんギャルグループだった子たちは知っていたらしいけど、大丈夫、Aは幸せになったんだよまた会えるよって言われたから、それなら良かったとむりやり納得した。
突然の事で悲しくて寂しかったけれど、それから二年、本当に充実した高校生活を送れた。
クラス仲が本当に良かったと思う。

そして楽しかった高校を卒業し、短大もあっという間に卒業し、私は町の病院に就職した。
就職してから何年かして出会いもあり、結婚もした。
結婚してからも病院で働いていた。

そこに、Aちゃんがきた。
もう小学生になる息子さんを連れて。
受付をしているAちゃんを見て、

「え!Aちゃん!?」

と言ったら、驚いてたけど、覚えていてくれた。

「私ちゃん!?ここで働いとるの?ひさしぶりやねえ(*´∀`*)」

って。
何も変わらない可愛い笑顔で。
病院にきたのは、Aちゃんの息子君が野球で怪我をしたってことでの来院だった。

幸い怪我はたいしたことなくて、良かったね〜なんて言っていたけど、こんな大きな子供がいるってことはあのとき…?なんて考えてたら、Aちゃんから連絡先を聞かれて教え合い、今度飲みに行こうってなった。

で、飲みに行ったわけだけど………

いきなり、ものすごい勢いで謝られた。

高校のときは、本当にごめんなさい。
いつもお弁当をもらってごめんなさい。
あのときは家に食べるものがなかった。
米だけはおばあちゃんがくれたからあったけどおかずは冷蔵庫には何もなかった。
高校はずっと学校には内緒でバイトしながら学費を稼いで通ってたけど(ちなみに公立、バイト禁止だった)、学費すら母親にとられるようになった。
通えなくなった。
携帯代も母親に渡していたのに払ってくれずパに使われて、携帯は持てなくなった。
あの頃、私ちゃんがおかずをくれた事がどれだけありがたかったか、どれだけそれで生きてこられたか、でもいつもクレクレで乞食みたいなまねをして、本当に申し訳なかった。

どうやら中退はそれが原因、B君は全て知ってAちゃんを連れ出して自分も中退、B君が18になるときに結婚妊娠、Aちゃんを苦しめてた母親はもともとおかしかった精神をさらに病んで自殺。
Aちゃんの人生が、全然そんなことわからないくらい笑顔がステキなAちゃんの人生が、こんなに大変だったなんて。

クレクレ?…とんでもないよ。
私には感謝しかないよ。
ありがとうとかごめんなさいとか、全部全部、私の方こそ言いたいよ。
なんかもうたまらなくて、ボロボロ泣きながら、なんで教えてくれなかったの?教えてくれたら力になったのに……って言ったら、

「恥ずかしかったから?かなー。やっぱりさ、見栄張りたいじゃん?カッコ悪いとこ見せたくなかったんだよあの頃は」

とか言って笑っててさ。
あーわかる、だよねーって。

あれ、これ昔逆だったよねーってまた笑った。
どうしても払いたいからってお会計はAちゃんがしてくれた。

あの頃の私はAちゃんに救われて、Aちゃんは私(の、おかず?笑)に救われて、今こうして笑っていられるのが、何か涙が出るくらい幸せだなあと、思うのです。
Aちゃんは、私にとって、何があろうと何を聞こうと、本当にいい人優しい人です。

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この記事のコメント一覧
1 . 名無しさん  ID:7IQ6hag80編集削除
予想とは違う展開だった。面白かった
2 . 名無しさん  ID:rbuIVbhi0編集削除
うん、先が読めない良い話だった。
3 . 貶しさん  ID:n0ZlUFhB0編集削除
朝からほっこりしたじゃねえかー、悔しいからおまいらの無いアタマ毟らせろー!
4 . 名無しさん  ID:WAEkzQz60編集削除
私ちゃん、 Aちゃん 
うん うん!
って 大きく うなずきたい
5 . 名無しさん  ID:uZRt6bR00編集削除
結局ニダーの玉入れは害悪ってことだな

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