親からぶどう送るとメール来た→いらないと返す
既に注文した送るとメール→もう前のとこにはいないと返す→以後のメール無視
弟から、親から姉の住所教えろとメール来た、教えていいか?とメール
弟に謝罪のメールして、自分で住所教えた

世間的には良い親なんだろうし、彼らなりにわが子を愛してもいるのだろう
でも3、4才の頃から毎日鼻血出るまで殴られたこと忘れてない
弟だけ保育園に入れてもらえて、自分はたった独り家に置いて行かれて
子供なんか1人もいない近所を徘徊する子供だったこと忘れてない
小学校入って生まれて初めて同年代の子供の集団を見たけど
友達を作るスキルなんて欠片も備わってなかった


おしゃれに興味持つと

「外見を気にするのは中身がないからだ」

と徹底的に馬鹿にされて
服もアクセサリも女の子らしい格好するのを避けるようになった
頑張って良い大学入ったけど、弟の進学を機

に「お前の分の学費払えない」

と中退させられた
昔を思い出すと苦しいばかりで、正直親にはもう私の人生に関わって欲しくない

色々あってようやく家を出て、それからフルで働きながら自分の金で大学行って卒業して
今は資格取得に向けて夜間の専門学校に通ってる
専門への進学を機に学校の近くへ引っ越した(実家近くでもある)こと
弟には知らせていたが両親には教えてなかった
私が親を嫌ってるのは弟も知っているので気遣ってくれたんだと思う
弟に申し訳ないので今回はやむなく知らせたが

そういや今から送られても着くの平日やん朝8時から夜10時まで仕事と学校で家にいねーよ!
次の土日まで寝かせといたら果物なんか腐るわ!
後から受け取れないからやっぱり送るなとメールした
こんなことなら最初から教えなきゃよかった気付くの遅すぎ
メール見ただけでこんな嫌な気分になるのに

資格取って転職成功したら少しでも職場近くに引っ越す
弟にも今度は先に根回しして携帯も変えて今度こそ親との連絡を絶つ
と改めて決意したけど今回の件で当分は何かと絡んでくるんだろうな、と溜息ついた次第

絶縁というか、少しずつ疎遠にしていこうとしてたんだけど、今回はちょっと失敗した
弟も、親に住所教えないでってあらかじめ頼んどけば絶対そうしてくれる
というか次はそうする

親との関係が良い人は羨ましいです
そのまま大事にしてほしい
人生の財産だと思うから

弟は後でだいぶ根掘り葉掘り聞かれたらしく、何話してもいいよとは言ってあったのですが
いくらか話しちゃった、ほんとによかった?そっちは大丈夫?と心配メールが来ました
弟は別に親と関係悪いワケじゃないので、板挟みみたいになって本当に申し訳なかった……
今度の法事で、今後どうするとかもっとちゃんと話しておこうと思います
親放置で、弟とですが

↓後日

1〜2年くらい前、たぶんこの辺だったと思うんだけど、親のことで愚痴ったことがある
3、4才の頃鼻血が出るまでよく殴られたとか、弟だけ幼稚園に入れてもらえたとかそんな話
果物を送ってやるとか何とかいうメールが来て弟巻き込んで面倒臭いやり取りの末
内緒で引っ越してたことと職を変えてたことと、資格取るために夜間の学校に通ってたことがばれた
両親は私に会えないので弟の所へ話を聞きに行き、弟は私に許可を得て、とりあえず事実だけを話した
弟によれば、非常にショックを受けていたらしい
何も知らされてないなんて、娘にそこまで嫌われてるとは思ってなかったようだ
でもその数ヶ月後の親戚の法事では普通に話しかけてきやがったんだけどね
従兄弟達が子沢山のおかげで、総勢約10名のお子たち(甥姪含む)の世話にかまけてガン無視したが

弟たちは、基本的に親とは仲いいが、私と親との諍いでは私の側に立ってくれてた
両親の暴力・暴言、ネグレクトは父の仕事が安定しなかった若い頃が一番激しく
年を重ね収入が安定するに従って落ち着いていった感がある
父からは

「お前達は動物と一緒だ、だから殴ってでも躾けるんだ」

とドヤ顔で言われた記憶があり
母は私が女の子らしいことに興味を持つことに非常に嫌悪感を示し、否定し続けた
結果長子であり、唯一の女児である私が、一番長く、一番理不尽な扱いを受けたことになる
上の弟は親の暴力の激しかった頃をおぼろげに覚えているのだろうし
下の弟はその辺ピンと来ないまでも、親が激昂したときは必ず私に庇われたことが今でも印象深いそうだ

弟たちが独立したあとも、私はしばらく実家に残って事故で足を悪くした母に代わって家のことをほとんどやっていた
化粧品やら自分の物を買うのにパートもしていたが、ささやかな給料の大半は家賃として徴収された
家を出たのは両親が退職後、母が休みながらなら家事もできること、父親が母の介助要員として戦力になることを確認した後だった
パートを辞めるときに勤め先が用意してくれた僅かばかりの退職金が、引っ越し費用になった
その後はフルタイムで働きながら大学に入り直し、卒業後はとある国家資格を得るために養成科に通い出した
弟たちは結婚し子供が生まれた後も両親とそれなりにうまくやっていたが、私はその間ずっと、ほぼ完全に接触を断っていた

家を出たのは、親を見限ったからだ
もう二度と和解のチャンスは与えない、ということ
いろいろ最後まで、本当にいろいろ頑張ってみたつもりだけど、もう終了、と思った
今まで何度も何度もそういう機会はあったし、若い頃は涙ながらに辛いと訴えたこともあったけど
その機会を全て悉く、こいつ何を言ってるのという顔で潰してきたのは彼ら自身だ
あの人達は一生私を理解できないまま、一生私に許されないまま死んでいく
後でやり直そうと思ったとしても、そんな機会はもう一生与えない
娘の一生踏み躙ったんだから、娘に一生許されないくらいのペナルティは妥当だろう
私自身もあの人達と和解できないままあの人達を失うわけだが、そのくらいの代償は構わないと思った

本人達に悪意はないから、急に連絡を絶つと心配だとか言って騒がれそうなのが嫌だった
職を変え、引っ越し、携帯を変え、そのたびに弟にだけは新たな連絡先を教え親には教えず……
というのを繰り返し、すこしずつ、気付かれないように疎遠にしてゆく予定だった
今回はバレたけど、今度は事前に弟にも根回ししていずれ逃げ切ろうと思ってた

そして、母が死んだ

法事の1ヶ月後に調子が悪いと病院に行き
その1ヶ月後に入院し
その2ヶ月後には息を引き取った
珍しい難病で、治療法も見つからないまま、あっという間の最後だった

作り話みたいだよね
別に作り話でもいいんだけどさ

父や弟から毎日のように病状を知らせるメールが届いてて、状況が悪いのは分かってた
でも入院したのは国家試験直前だったし、その後も卒業まで実習だの何だの過密スケジュールで
忙しい、を言い訳に見舞いはおろか、メールすら一切返信せず無視し続けた
だんだん病気に勝ち目がないことが分かってきた頃、下の弟から遠慮がちな電話があった
無理にとは言えない、でも、もし可能なら、会いに行ってやれないか、と
すごい嫌だったし、その時はうーんと言葉を濁したけど
これが最後になるかもっていう予感はあった
最後に私のこと、どう思ってるのか聞いてみたいと思った
少しは罪悪感とかあったのかよと

結局学校の合間、たまたま午後に時間ができた日、入院先へ向かうことにした(国試は終わったあと)
話してみても、きっとまた無神経なこと言われて腹が立つだけじゃないのか
的外れな答しか返ってこなくて、結局がっかりして帰ることになるんじゃないか
でも、それで失望して、やり切れないまんま終わりを迎えることになったとしても
それはそれで人生だな、と思った
ある意味腹をくくった

私が来るとは思っていなかったらしく、母はずいぶん驚いていた
コートとか脱いだあとこっちもどうしたものかと思って突っ立ってたら
母は私に向き合ってまず、

「お前には悪いことをした」

と言った
涙声で、

「初めての子で育て方が分からなかった」
「やり方を間違った」
「辛い思いをさせた」

私が最期の別れに来たと思ったんだろう

「お母さんは大丈夫、まだ死なないから」と「悪かった」

をずっと繰り返してた
私はまだ学校が忙しく(実習が始まるタイミングだった)、今日もすぐ帰らなければならないこと
今後も当分来れないことだけ告げて、すぐに病室を出た
帰りの電車で少し泣いた
行ってよかったと思った

電車の中で思ったのは
母の言う「(私にした)悪いこと」と、私が両親からされて「もう取り返しが付かない」「やりなおしもきかない」と思ってることは
たぶんかなり食い違ってる
この先何度会ってもきっと噛み合わないことだらけで、話すたびに嫌な思いさせられて
話すたびに苛々して、酷いこと言われて理不尽なことされて、何度も悔し泣きするハメになるんだろう
だから結局、距離を置いた方がいいのは変わらない
許したのか、と言われると、たぶんやっぱり許してない
でも、ずっと欲しかった言葉ではあった
心の中で、どうしようもなくグッチャグチャに吹き荒れてたグチャグチャな何かが
確かにあの一言でだいぶ凪いだ
私はあの人達に付けられた心理的精神的なトラウマやら欠損やら欠陥やらを一生抱えて生きなきゃならないわけだが
それを受け入れるのに、ほんの少し、少しだけ
気が楽になったと思う

その2〜3週間後には母は喋ることもできなくなり、医師からは命の期限が告げられた
医師の見込みよりはだいぶ粘って、母はその更に2週間後になくなった
私の国家試験合格発表翌日という、見事なタイミングだった

私は国家資格を手に入れて、今それに関連した仕事をしている
母の遺産は(大した額じゃないけど)兄弟で分け合うことになって
私の場合は学費の返済と職場近くへの引越資金になった
あの一言がなかったら、あの人の遺したモンなんか、気持ち悪くて欲しくもないわ!ってなったと思う
父とは法事の打ち合わせなどで多少はやり取りするようになった
以前ほど苦痛ではないけれど、適度に距離を置こうとは思ってる
苦しいししんどいのは変わらんけど
前よりはマシに立ち回れるようになったような気がする

弟たちは割合穏やかで冷静だけど、やっぱり普通に母親の死が悲しいみたいだ
私1人「いい別れ方ができた」みたいにすっきりしてて
我ながら薄情だな、とも思うし
娘に死を悼んですらもらえないってのは、母にとっちゃ残念だろうが、因果応報だよなーとも思う

悲しいという感覚が不思議なくらい湧かなくて、弟とのちょっとした感覚差に戸惑うことはありますが
そこに罪悪感があるわけでもなく「何だかなぁ」という感じです

言うほど毒親でもなかったですし、決して悪人ではありませんでした
良い思い出も、尊敬できるところも多々あります
プライドばかり高くて社会も碌に知らない若い夫婦が貧乏子沢山、
それこそ子供にあたらずにはいられないこともあったのだろうと今なら思いますが
だからといってヒステリックな暴力や罵倒を許せるわけでもない
思い込みが激しく絶対に自分の過ちを認められない
そして自分の子供にはどんなことをしても許してくれるという無意識の甘えもあり
真面目に子供のことを考えているのは確かなのに、どうしても噛み合わず飲み下せず
散々もがいた挙げ句私の方から逃げて距離を置くことしかできませんでした

今でも整理のつかない感情に苦しむことはありますが
それは私が自分の人生の中で、ゆっくり時間をかけて向き合って
自分で解決して行かなくてはいけないことと理解しています

まず親についてですが、私自身大分積もり積もった恨み辛みがあったもので
かなり偏った卑怯な書き方をしています
以前の書き込みを見つけていただいて、そこでは大学中退についても言及されていますが
あの時は両親揃って土下座で謝られました(私は納得できずに泣いて悔しがりましたが)
共働きでそれなりに世帯収入もあったでしょうが
兄弟全員がしかも同時期に私立大学に在籍、となるとそこまでの余裕はなかったのでしょう
弟には当然永らくこのことは伏せられていたのですが
成人して大分経った頃に私が

「あの頃は大変だったねー」

とうっかり口を滑らせてしまい
今でも大いに負い目になってしまっているようです
これに関しては本当に私の落ち度で申し訳なく思っています
経済的に兄弟全員にチャンスを与えられないなら、お姉ちゃんが我慢して弟に、という考えは理解できますし
私もあそこで弟の道を閉ざすくらいならあれで良かったのだと今は思っています

親なりに私のためを思ってやっているんだろう、と思う出来事も多々ありました
ただ、それが絶望的なくらい的外れだったり空回っていたり、そして絶対それを認めなかったり
弟たちがまあいいやと流せたことが私には流せず、親子としては性格の相性も悪かったのだと思います

弟たちは親と私が直接接触しないよう、かなり繊細に気を遣ってくれています
住所については、私が親に引越を隠していたことを弟は知らなかったので
いきなり親に「姉の住所教えろ」ときかれて咄嗟には教えず、私に事情伺いのメールをしてきたのは間違いなく私への配慮でした
「姉ちゃんが嫌なら絶対教えない」というニュアンスのことも書かれていました
どうせあと1年もせずにまた引っ越す予定で、しかも今度こそ完全に絶縁するつもりだったので
今回はまあいいやと私が判断して伝えました

親自身は介護が必要になったら家を売ってホームに入る、と以前から言っています
家はともかく地価が大分上がっているので、資金的には大丈夫みたいです
他に何か必要なサポートがあれば、兄弟で話し合って決めていくことになると思います

母の遺産を、「姉ちゃんはオレたちと違って、全く援助を受けてなかったから」と
私に一番多く付けてくれようとした弟たちですので
そのあたりは全く心配していません
兄弟がお互いに相手のことを思い合って、協力して助け合う
しかも自分が力を貸す方、助ける方でいようとする
これは間違いなく親の教育の表れなので、ここも強く親に感謝し、尊敬するところです
絶対に許せないこともありますが
悪いところばかりでもなかった、彼らなりに真剣だったのも確かでした

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この記事のコメント一覧
1 . 名無しさん  ID:HoRaUmMn0編集削除
恨みつらみが積もりに積もる程の親がいい親なわけがない。
児童虐待なんて言葉で濁して?いるけど結局はこどもに対する「傷害」行為。
ネグレクトも「保護責任者遺棄」行為。
れっきとした罪状のつく犯罪行為に違いないはずなんだけどねぇ。

うちがそんな親じゃなくて良かったと思うわ。
2 . 名無しさん  ID:U.UYDncv0編集削除
ためつすがめつの子育てで失敗があるのは当たり前だが、報いは受けるべきだし、
真剣な上でやらかした自覚があったのなら、報いを受けたかったことだろう
まだ死なないから、とは心配をしてもらえている前提ではなく、そういうことだったように思える
3 . 名無しさん  ID:kB1fG91v0編集削除
幼児の親だといってもたかだか20か30程度で子供こさえて親面してる若造なんだからな
人間的に出来てるワケねーよなw
4 . 名無しさん  ID:S7wey4K50編集削除
この投稿をみて思うのは、まだ親の洗脳が解けてないんだなーとしか
5 . SEXマシーン  ID:DzsOcUW70編集削除
そうか、小さい頃は女の子として見てもらえなかったんだね。かわいそうに・・・。
それじゃ、俺がSEXして顔射でもしてやろう。
SEXしてる間は自分が女だと間違いなく実感出来るよ!良かったね!
6 . 名無しさん  ID:WYtIp22i0編集削除
ちなみにためつすがめつは色々な方向からよく見ることって意味。
試行錯誤、的な意味で使うなら、後に検討するとか修正するってつけないと言葉足らずだから気をつけよう。
7 . 名無しさん  ID:mIbvQKM00編集削除
私さんがいうほど環境が悪かったのだろうか?

高校学年トップ(真に1位)なのに
卒業しても母の家業(雀荘)を手伝うしかなかった女の娘もいる
(彼女が中学時に、父は愛人を家に引き込み、妻子共々家を追い出された)
8 . 名無しさん  ID:kj5oY9A50編集削除
※5
テメェ何変な書き込みしてんだ。
その蛆虫湧いた頭かちわってやる。
9 . 名無しさん  ID:cBnpiZdq0編集削除
〉3、4才の頃から毎日鼻血出るまで殴られたこと
世間一般の親は、どれだけの苦難を抱えようが、絶対にこんな事はしません

〉母は私が女の子らしいことに興味を持つことに非常に嫌悪感を示し、否定し続けた
まだ若く子育てが手さぐりであっても、娘にこんな対応はしません

結論
基地外と共依存の娘の愚痴
10 . 名無しさん  ID:cBnpiZdq0編集削除
※7
大富豪の様にお手伝いさんが居ないし、外国に別荘が無いから不幸だ
内戦極貧女児の様に、毎日生命の危機を感じながら体を売らずに済むから幸せだ

馬鹿?
11 . 名無しさん  ID:Id6Yihej0編集削除
>>10
意味の通じる正確な日本語を書きなさい。
 
漢字を捨て、古文書等を読めないようにして、歴史を捏造し
覚えやすい象形文字に縋りつく韓〇人か?

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