田舎の小学生だった俺の黒い過去だ。

小学校6年だった約30年前の秋、親戚の伯父が俺の家に来て、アメリカ土産をくれた。
何か英語が書かれた紫と黄色のリュックだった。
後にNBAというアメリカのバスケットボールチームのグッズだと知った。
そこに書いてあったのは Los Angels LAKERS
田舎では見たこともないデザインで、衝撃的だった。

翌日、俺は早速学校に持って行った。


背中にランドセル、リュックはショルダーのように肩にかけた。
当然、注目の的で

「何それ?どうしたの?英語で何て書いてあるの?」

アメリカ土産で「レイカーズ」と読むことは伯父から聞いていたので

「は?みんな読めねーの?レイカーズって書いてあんだよ」

俺は自慢げに答え、鼻高々だった。

俺はこのLAKERSのロゴに魅了され、ノートに何度も真似て書いた。
リュックのロゴの上に持っていた透明な下敷きを重ねて転写して
見事なLAKERS下敷きまで作成した。
そして俺の心は「アルファベット」に支配された。

COFFEE POLICE NISSAN BLUEBIRD SUPREMARKET BUILDING

街中で目に入るあらゆる英単語を俺は真似てノートに書きまくった。

「何て書いてあるの?」
「何て読むの?」

と質問責めにされたが、

「おまえらにはまだ早いよ。」

と一掃した。

当時の英語教育は中学からで、かなりの田舎だったので地元にはECCやAEONもなく
俺の書いている英単語を読めるやつは学校にも家族にもいなかった。
なので俺は「あいつは英語ができるのでは?」と噂されていた。

ある日、自宅の玄関前に座り込み、「英語が書ける俺様すごいだろ」と近所にアピールしながら
いつものようにノートに英単語を書いていると、近所のお姉さんが歩いてきた

「俺君すごいねえ、もう英語の勉強してるの?」

このお姉さん(当時は女子高生)は、いわゆる「隣のきれいなお姉さん」で
早めの中二病で粋がっていた俺が素直に甘えられる存在だった。

俺はお姉さんのバッグに書かれたアルファベットに注目した。
今思えば恐らく「Hello Kitty」かなんかが書かれていたのだろう。

「俺が書いてる英語と、この文字が繋がった英語はどう違うの?」

俺は素直な質問を投げかけた。
お姉さんは

「これは筆記体って言うんだよ」

と教えてくれ

「ちょっと待ってて」

と一旦家に帰り、薄い本を持ってきて

「私が中1の時に使ってたのだけど、よかったらあげるよ」

と俺にドリルのような本をプレゼントしてくれた。

帰ってそのドリルを開くと、目からうろこだった。
ABC abc そして噂の筆記体
小学一年生がひらがなを覚えるように
丁寧にアルファベットのブロック体と筆記体の書き方が記してあった。
俺は最強の武器を手に入れた。

翌日から俺は、毎日毎日熱心にアルファベットの書きとりをした。
幸い、運動はだめでも書道で段を持っていた俺の綴る筆記体はなかなか美文字で
各家庭にPCもなかった当時、俺は美しいアルファベットを生産するマシーンになった。

俺は自分のサインを考案すべく、自分の名前を筆記体で書いてみた。
「yamada(仮名)」
嬉しくてお姉さんの家に見せに行ったら

「最初のyは大文字にするんだよ」

と直してくれた。
「Yamada Oreo(筆記体)」

もう、その美しい文字に溜息すら出た。

サインを完成させた俺は、あることを思いついた。
鉛筆のお尻を彫刻等で少し削って、そこに「山田」と名前を書いていたが
少し長めに削って、お得意の筆記体の「Yamada」と書いてみた。
翌日学校で注目の的。

「俺の名前も書いてくれる?」
「あたしも!」

俺は順番にオーダーを受け
「Tanaka」「Sachiko」「Megumi」などのネーム入り鉛筆を量産した。

そして季節は冬。年賀状シーズンとなった。
「HAPPY NEW YEAR」がかろうじて浸透していたので
俺は手書きの美文字の筆記体で年賀状デザインを考えた。
そしてプリントごっこで量産し、普段送らないようなクラスメイトにまで
その洗練された年賀状を送った。
年が明け、受け取った家でも絶賛され、俺の母親にも伝わった。

「俺君、小学生なのに英語が喋れるんですって?」

「そうなのよ、誰も教えてないのに自分で勉強して、オホホ。」

母親も鼻高々で、鳶が鷹を生んだ、末は博士か大臣かと浮かれていた。

アメリカ土産のLAKERSのリュックがきっかけで、美しい筆記体のアルファベットを書くことを覚えた俺は英単語を渇望していた。
目につく英単語は相変わらず何度も何度もノートに書き綴った。

CASTER ONE-CUP C-C-B Coca-cola
意味などほとんどわからなかったが楽しかった。

そんな俺はある日、恐らくコンビニの本棚でとある単語を見つけた。

それは「 S ○ X 」

当然、意味なんてわからなければ読み方もわからない。
しかし「X」がなんかかっこよかったのか
シンプルかつかっこいいその単語は俺を魅了した。
自由帳にも下敷きにも教科書の隅にまで「s○x」を書きまくる痛い俺。

「これ何て読むの?」


「お前らにはまだ早いし、言ってもわかんねよ。」

で切り抜けた。

そんなある日、担任の若い女教師が
一心不乱に「s○x」を書き綴る俺の横に来てボソっと呟いた。

「俺君、この単語は書いちゃだめ。」

「どうして?」

「どうしても。子供は書いちゃだめなの。」

実は意味を知らないことが露呈するので、俺は誰にも相談できずに一人で悩んだ。
そんな時、テレビにある光景が映し出された。

俺が住んでいるド田舎とは違い、煌びやかな東京の風景だった。
時代はバブル期。
席シーで派手な服に身を包んだ若い男女がキラキラしたディスコで踊っている。
そして田舎では見たこともないような青やピンクの酒を飲んでいる。
輪切りのフルーツとか、お子様ランチの旗の大人版のような飾りの刺さったカラフルな酒。

俺は仮説を立てた。
子供はだめ→大人はOK→酒だ!!

当時は酒と言ったらビールと日本酒しかなかった。(焼酎はない地域)
東京の若い男女が飲んでいる、あの青やピンクの酒こそ「s○x」だ!
要は、ジンやウォッカの一種だと俺は決め込んだ。

最先端のお洒落な酒の名前だとわかったら話は早い。
担任の忠告など無視だ。

俺は今まで以上に持ち物のあちこちに「s○x」「s○x」t書きまくった。

ある日卒業文集に掲載するアンケート用紙が配られた。
名前・生年月日・血液型・得意な科目・趣味・特技。
俺は書いたよ。
趣味=s○x 特技ーs○x。
周りのガキ共が知らない都会の酒を嗜む男だからね。

そして終焉は訪れる。
2月になった頃、中学校から始まる英語の授業の前準備として
英和辞典を買い与えられたやつがいた。
同じクラスのAだ。
Aは辞書の引き方を覚えた。
そして遂に俺が常に書き綴る「s○x」を調べてしまった。
s○x=性交渉・セッ○ス

Aは家族の団欒時に爆弾を投下してしまった。

「ねえ、セッ○スって何?性交渉って何?」

パニックになるA両親。
やんわりとかわすもしつこく質問するAを
A父は怒鳴り、殴り、A母は泣いて止めたそうだ。
正に修羅場。

納得のいく回答が得られず、父に殴られ母は泣き、わけがわからなくなったAは、仲良しのBに相談した。
Bももちろん意味がわからない。

そしてBには中学3年の兄がいた。
この兄、別に悪い人ではなく、むしろ俺もキャッチボールしてもらったこともある面倒見の良い人。
しかし中学3年生。脳内はエロで満載。
AとBが揃って相談すると、B兄はとても丁寧に教えてくれた。
しかし医学的・保健体育的な用語ではなく
中学生特有の、エロさ満載の説明でAとBは性教育を受けた。

翌日、血祭り当日。
AとBがニヤニヤしながら俺に近づいてきた。

「へんた〜い!」
「超エロい〜!」

俺は意味がわからなかった。
鉛筆に名前を書いてあげたせいで、ちょっとヒーロー風だった俺を女子達が擁護する。

AB「だってこいつ、セッ○スって毎日書いてんじゃんw」

女子「俺君は変態じゃないよ!」

AB「じゃあおまえら、セッ○って知ってるか?」

女子「・・・?」

AB「男の(ryを女の(ry」

女子「きゃあぁぁぁああぁぁ、変態!」

AB「だから変態はこいつだって!!」

その後AとBは、B兄から教えてもらった通り
エロさ満載の卑猥な言葉で性教育の講義をした。
泣きだす女子も現れ、担任も飛んできた。
田舎ののどかな小学校の教室がカオスとなった。
あれはショックのあまり記憶がない。

パニックは一日で終わらなかった。

「お父さんもお母さんも不潔!!」

と両親に抗議した女子もいた。
ショックで家でしてしまった女子もいた。
その家の母親が俺の家やBの家に抗議があり、俺の両親も泣いて謝っていた。
俺の所有物に書かれた大量の「s○x」を見つけた親父に、俺はフルボッコにされた。
親父が自帳をビリビリに破り、母親は泣きながら除光液で下敷きや筆箱に書かれた「s○x」を消していた。

翌日から俺はぼっちになった。
そして卒業式を迎えた。
すっかり忘れていた卒業文集の俺のプロフィールは
趣味:サッカー
特技:サッカー  と担任の字で書き換えられていた。担任GJ。

中学に入り、俺の黒歴史は瞬く間に広がった。
俺のあだ名は「変態」「ドエロ仮面」
すっかり暗い人間になり、女子との青春の思い出などひとつもなかった。
地元のみんなが大した受験もなく地元の公立高校に進学する中
俺は逃げるように少し離れた私立高校に進んだ。
そのまま大学も県外に進んだ。

あれから四半世紀経ち、実家に同窓会の案内が届いた。
俺の初恋相手の女子が、バツイチになって実家に戻ったと聞いたので
是非とも参加したかったのだが、俺の黒歴史があまりにも黒すぎて参加できない。

結婚もしてない俺は子供がいないのでわからないが
現代の性教育はもうちょっと早くなったんだろうか?
せめて5年生で大人から正しい性教育を受けていれば
俺の青春時代も違ったと思うと悔やまれる。

コメントの数(9)
コメントをする
コメントの注意
名前  記事の評価 情報の記憶
この記事のコメント一覧
1 . 名無し  ID:2OZQT9Hc0編集削除
ロスエンジェルスラッカース?
そんなチームいたか?
きっとパチモンだな
2 . 名無しさん  ID:YEOUUVpY0編集削除
まあまあ
3 . 名無しさん  ID:JF1lM8Pj0編集削除
薄い本くれるお姉ちゃん・・・
4 . 名無しさん  ID:otO.WEf60編集削除
じゃあお姉ちゃんとSEXの勉強しようか?まで妄想した
5 . 名無しさん  ID:SaghuYlF0編集削除
いくら田舎の学校と言ってもローマ字は学校で習わなかったの? 戦後間もなく1947年に文部省が小学3年或いは4年にローマ字を習うことを決めそれからずっとそれが続いていると思うんだけど、俺が間違っているのか?? 30年前に6年生ということは42年くらい前、即ち1974年くらいだからどんな小学校でもローマ字は習っていたんじゃないのかな〜???
6 . 変態紳士  ID:UlHSfhCF0編集削除
おやおやこれは良い経験をお持ちの方だ
変態?どエロ仮面?良いではないですか
むしろ何故変態であるということに胸を張らないのかね?
7 . 名無しさん  ID:Wln5BKnq0編集削除
>5
間違ってるね。30年前だって言ってるのに何で12年足すの?それより30年前にイオンってあったか?
8 . 名無しさん  ID:6szck0o60編集削除
>7
AEONの創立は1973年だから30年前にはあったよ。
AEONの日本語名は正しくはイーオン(イオンではない)。 

5.の12足してあるのはおかしいね。 あまり意味のないことだが、多分筆者が生まれたころにはもう既にローマ字は学校で教えていたはずだ、とでも言いたかったんだろう。 

いずれにしろ33年前=筆者が3年生の時=1983には小学校でローマ字を教えていたはずだけどね。
余程特別な小学校だったのか??
9 . 名無しさん  ID:.OKBu2A60編集削除
たぶん同年代で俺もド田舎の出身だけど、6年の頃にはS○Xって単語はほとんどの子が知ってたぞ。もちろんそれがどんなものかは漠然としかわからんかったw
ただし女の子は5、6年の時に視聴覚教室で性教育を受けていたように記憶している。

コメントを書き込む

今月のお勧めサイト



週間人気ページランキング
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

記事検索
月別アーカイブ
タグ
ブログパーツ ブログパーツ