島原の乱で戦死した板倉重昌。
彼の長男で、父とともに従軍もした板倉重矩と言う人が居るが、彼にこんな話がある。
重矩の邸宅の居間には、祖父、板倉勝重より伝来の弓を飾っていた。
ところがある時、近習の者の一人がふとこれを素引きしてみると、過って折ってしまった。
この者大いに驚き慌て、嘆きながら老臣に事の次第を告げた。
老臣「なんということを!
その御弓は当家代々の御重宝の一つではないか!殿の御気色はいかばかりか…」
そう叱責し、この近習を一室に閉じ込め、重矩の帰邸を待った
さて、重矩帰ってこの事を聞くと、その近習を呼んでくるようにと命じた。
近習、これを聞いて、きっと手討ちにされると大いに恐れながら御前に出ると、重矩、
「居間の弓を折ったのはお前か?」
「ははっ」
「お前がいつも奉公のことを考えている事、わしはいつも喜んでいる。
さて、あの弓だが、あれは万一何事かあった時、護身の為置いていた物だ。
しかし、お前が素引きをしたくらいで折れるような物であれば、わしが引いても必ず折れただろう。
もし万一の時にこれを用いれば、酷く恥をかいたことであろうな。
何事も無いときに折れたのは、これはわしにとって吉事と言うべき事である。
お前は何も、わしに迷惑となるような事はしていないぞ。」
この言葉に、弓を折った本人は言うに及ばず、近習の仲間の者たちも皆涙を流し、この人の為ならば
命を落としても惜しくは無いと、思い定めたとのことである。
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島原の乱を体験談として語るなら《衝撃》の方がよくね?
どうでもいい事だが、歴史に疎いワイはこの手の話を読むと、登場人物の名前が読めない。
この程度で周囲まで涙するってどんだけブラック城内だったんだよ
ブラックというよりは、現代とは違う「身分」の考えじゃないかな?
現代じゃ社長に気を使われることくらい、さほど珍しいことではないが
当時は、ものすごい珍しいことだったんだろう。
現代じゃ社長に気を使われることくらい、さほど珍しいことではないが
当時は、ものすごい珍しいことだったんだろう。
この切り替えしは素直に凄いな
体験談って…
いやいやいやいやw
そもそも板倉藩が7割とかメチャクチャな年貢率で餓死者続出したのが島原の乱の原因の一つだからw
そもそも板倉藩が7割とかメチャクチャな年貢率で餓死者続出したのが島原の乱の原因の一つだからw
島原の悪殿様は松倉家や、板倉家は鎮圧にいっただけやで
いい人というより、物凄く合理的な考え方をするなあと思った
この話以前に戦死してる板倉重昌関係無くね?www
素引きと素又とどっちがい?
海原先生なら「死んでしまえー」って言うトコロだよな。
米12
二木の爺さんもだな。
二木の爺さんもだな。


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