牧師、医師、エンジニアの3人がゴルフをしに行った。
最初は順調だったのだが、前の組が遅いのでなかなか先に進めない。
少しくらいなら待つのだが、あまりにも遅いので、業を煮やした3人は前の組の所まで行って文句を言おうとした。
するとキャディが3人を止めて説明した。
キャディ:「あの方達は目が見えないんです。
実は去年、ここの建物が火事になったんですが、
彼らは消防士として懸命に消火してくれたんですが、
その時の事故で・・・
ですから、私たちは彼らがいつでも好きな時にプレイできるようにしているんです」
それを聞いた3人は納得し、前の組の人たちに挨拶をした。
最初に牧師がこう言った。
牧師:「あなた方に神のご加護がありますように」
次に医師がこう言った。
医者:「私の知り合いに優秀な眼科医がいます。よろしあったらご紹介しますよ」
最後にエンジニアがこう言った。
エンジニア:「夜にプレイすればいいんじゃないですか?」
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1 . SYB ID:KFwgMOXr0 : 編集:削除
消防士も好きな時にいつでも出切るから、
きっと気にしてなかったのかもな・・・
たとえ、迷惑がかかっても・・・セルフィッシュ・・・
きっと気にしてなかったのかもな・・・
たとえ、迷惑がかかっても・・・セルフィッシュ・・・
夜にプレイと聞いてもう1つの意味を想像してしまった人は正直に返事してくれww
SC-8850 = 歩儀意
>2
はーい♪朝っぱらから変なこと想像しちゃって
すんません(テへッ♪
はーい♪朝っぱらから変なこと想像しちゃって
すんません(テへッ♪
エッ・・・エンジニアってなに・・・・?
>>4お前とは他人の気がしない
的を射る
>3
いや、似ているところはあるかも知れんがそれは違う。本人が言うので間違いない。
いや、似ているところはあるかも知れんがそれは違う。本人が言うので間違いない。
これだから理系男は…
的をgetしてどうすんだよ。
的を得ている→的を射ている だよ?
バカか?
バカか?
的を得ている、は厳密に言うと間違いだった希ガス
ここらでマジレスをば。
>「的を得る」は誤り(「当を得る」と混同されやすい)。「的を射る」とは的確に要点をとらえること、「当を得る」とは道理にかなっていること。
だそうです。けど、「その発言は的を射ている」って言いにくいな(笑)。
>「的を得る」は誤り(「当を得る」と混同されやすい)。「的を射る」とは的確に要点をとらえること、「当を得る」とは道理にかなっていること。
だそうです。けど、「その発言は的を射ている」って言いにくいな(笑)。
的を射ているなんて日常会話で使わないだろ普通。
文面だけで使うものと俺は決めてる。
知ってればそれでいいよね?
文面だけで使うものと俺は決めてる。
知ってればそれでいいよね?
よろしあったらご紹介しますよw
>>3
何をもってしてそう思うw?
俺は別にいいけどSC-8850に迷惑だから言うなよw
>>15
おお!お前も気づいたか!さては天才だな!?
何をもってしてそう思うw?
俺は別にいいけどSC-8850に迷惑だから言うなよw
>>15
おお!お前も気づいたか!さては天才だな!?
的を射る
>>14
文面だけで使ってて、的を得るって意味がわからんだろうが。
日本語として理解不能。
的を射るくらい日常会話で使うだろ、どれだけ馬鹿な生活してんだお前は。
>>14
文面だけで使ってて、的を得るって意味がわからんだろうが。
日本語として理解不能。
的を射るくらい日常会話で使うだろ、どれだけ馬鹿な生活してんだお前は。
自分が知らないという事を常識だと堂々と主張する奴はあれなの?
無知自慢?
無知自慢?
なんて脱線ゲーム?
夜は夜で別のプレイをしなきゃならなくてね。
エンジニアの卵である俺としては、これは非常に的を得てると思う。
エンジニアって何ですか?
>>21
つまり、エンジニアはバカが多いってこと?
つまり、エンジニアはバカが多いってこと?
>>nn人の生き方に口を出すな
的を射る。
得てどうするんや
得てどうするんや
夜はキャディさんも見えないから駄目なんじゃないの?
よろしあったら・・・
お前らバカだな。エンジニアってのはエンジンをかける人のことだろ。
的を射たからって当たるとは限りません。
また「得る」にはそもそも「当たる」という意味も含まれています。
古代中国では的を射て遊ぶ遊技場がありました。
的を射て、的中すれば、射た的を得られた事から発生した言葉です。
得た的は今で言うトロフィー的なものでした。
これらの故事が日本に伝わり、当然のことながら
わりと最近までは「的を得る」が使用されてきました。
古典で言うならば、徒然草にも出てきますし、
戦前の尋常小学校の教科書にも出てきます。
しかし何故か現代では「的を射る」が正解で、
「的を得る」は誤用とされています。
なので別に「的を射る」が正解でもいいとは思いますが、
「的は射るもの、的を得てどうするw」という知ったかぶりなアホには
ついひと言申し上げたくなる次第です。
また「得る」にはそもそも「当たる」という意味も含まれています。
古代中国では的を射て遊ぶ遊技場がありました。
的を射て、的中すれば、射た的を得られた事から発生した言葉です。
得た的は今で言うトロフィー的なものでした。
これらの故事が日本に伝わり、当然のことながら
わりと最近までは「的を得る」が使用されてきました。
古典で言うならば、徒然草にも出てきますし、
戦前の尋常小学校の教科書にも出てきます。
しかし何故か現代では「的を射る」が正解で、
「的を得る」は誤用とされています。
なので別に「的を射る」が正解でもいいとは思いますが、
「的は射るもの、的を得てどうするw」という知ったかぶりなアホには
ついひと言申し上げたくなる次第です。
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